仏 像と仏師の世界 日本の仏教美術を今日に伝える名仏師たちとその作品 仏 像彫刻の鑑賞に役立つ知識情報も満載
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阿吽

 

阿吽は仏教の呪文(真言)の1つ。インドのアルファベットに於いて、阿(ア)は口を開いて最初に出す音、吽(ウン)は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされました。とはいえこれは日本生まれ、中世の密教家の作のようです。お寺の狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされ、口が開いている方を阿形、閉じている方を吽形と言います。「阿吽の呼吸」といえば相撲の立ち会いとかマナカナのように息がピッタリ合ったときの喩えにつかいますね。

 

阿修羅

 

梵語の「asura(アスラ)」の音訳語です。修羅ともいいます。インド神話では悪神とされ、インドラ神と争う悪魔・鬼神とされました。仏教では、仏法を守護する天竜八部衆の一つで、帝釈天と戦争をしてはいつも負けていました。古い話になりますが、プロレスラーの阿修羅・原は天龍源一郎と龍原砲を結成する前は、天龍を目の敵にしていましたが、戦う度にコテンパンにやられていました。阿修羅が天竜八部衆だったというのもよっぽどの縁なのでしょうね。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を修羅場というのもここからきています。

 

阿弥陀かぶり 

 

阿弥陀仏の尊像には無量光の象徴のため放射状の光背をつけることがあります。笠を頭の後ろにずらして被ると内側の骨がこの光景に見えるので阿弥陀笠といいこの被り方を阿弥陀かぶりと呼ばれました。「阿弥陀くじ」も古くは開いた扇子のように放射能状に線を引き、その中の一線、要のところに印をつけ、その線を引いたものが銭をだすので阿弥陀の光ともいわれました。今みたいに平行に線を引くのでがなかったのですね。ちなみに明石家さんまさんがやってた「あみだばばぁ」は仏教とは一切関係がありません!?

 

因縁

 

仏典翻訳語としてさまざまに用いられましたが、大別すれば、1)因(原因)、2)因と縁(直接的・間接的な原因)、3)縁(条件・理由・由来)の意味で使われました。日本では昔から3)の意味で使われ、因縁話とは前世に由来する現世の話、因縁をつけるとは無理やりつけた理由の意味です。

 

縁起

 

縁起は全ての物事が原因であり結果であり互いに作用しあう関係の中にるという仏教独特のものの見方で、中国語に対応する言葉がない為「縁(よ)」って(プラティートゥーヤ)「起」こる(サムトゥパーダ)と造語されました。しかし徐々に原因に重点が移り、転じて前兆の意味になりました。

 

往生

 

もとは輪廻転生すること、生まれ変わることの意味でした。やがて浄土に生まれること、とくに阿弥陀仏の西方極楽浄土に生まれることをいうようになりました。日本では江戸時代に一般語に転じて単に死ぬこと、諦めること、閉口することの意味になりました。かなり前ですが、聖飢魔IIの「赤い玉の伝説」という曲の最後に高島礼子の「往生しなっせ」というセリフが入っていました。その当時は映画「極道の妻たち」のヒットもありこの言葉、結構流行りました。

 

愚痴

 

愚痴とは佛教用語では本来は「目の前にある現象をとらわれ惑わされて、正しく理解できず、ものごとの真実をわきまえられない、或いは、わきまえようとしない頑迷な状態」をいいます。
愚痴の語源は梵語の「moha(モーハ)」であると言われており、このモーハの語音を「莫訶」と漢字に写し、あるいは「馬鹿」という漢字に訳されたといわれています。

 

後生

 

本来の中国語の意味は後輩で、後から生まれた者ということです。仏典翻訳に当たり後の世で生まれ変わることの意味にあて、「こうせい」ではなく「ごしょう」と呉音読みするときは仏教用語です。現在ではかなり意味が多様化して使われています。国語辞典をひらいてみると、

   

「後生」……

1)死後に生まれ変わっていくとされている所。

 

2)死後の安楽

 

3)おりいってたのむときにつかう〔−だから〕

 

−ぎらい……仏の教えをけいべつすること

 

−大事に……1)死後の安楽をねがって仏教の信仰にはげむさま

 

         2)物をだいじにもちつづけるさま

   

などと出ています。落語の「後生鰻」という話は上の意味だと、「後生大事に」の「死後の安楽をねがって仏教の信仰にはげむさま」にあたるかと思います。話の中では、「いい後生をした」という言葉で使われ、「(来世での幸せを得るための)現世での功徳」ということがベースになっています。この話と共通して、よく時代劇で叩ききられそうになった人が「後生だから…」といって侍に懇願するのは「私の頼みを聞いてくれると現世の功徳になってあなたの来世の幸せの種にもなりますよ」という意味からの変化と想像されます。

 

三昧

 

もともとは瞑想して雑念を離れ、心が澄んでいることですが、日本では一点集中の喩えに使われ、念仏三昧、読書三昧、ゴルフ三昧などと使います。また、三昧=入定=死の連想で、火葬場や墓場を三昧(場)と呼ぶようになりました。三昧聖とは瞑想中の聖者のことではなくて墓守の下級僧のことでした。インスタントラーメンに「中華三昧」という商品がありますが、中華という言葉の意味が広すぎるので本来なら「ラーメン三昧」と称すべきところでしょうね。

 

四苦八苦

 

四苦とは、生・老・病・死の苦しみ。八苦はこれに、愛別離苦(あいべつりく)「愛しい人と別れる」、怨憎会苦(おんぞうえく)「憎い人に会う」、求不得苦(ぐふとくく)「欲しいものが得られない」、五陰盛苦(ごおんじょうく)「人間存在そのものが苦しみ」の四苦を合わせたものです。昔は曽根崎心中にも「断末魔の四苦八苦」と用いられたほど深刻だったみたいですが、最近は軽い表現にも使われるようになりました。 四×九=三十六と八×九=七十二を足して百八つが煩悩の数といわれます。

 
殺生
 

本来は殺すことと生かすことですが、仏教語殺生は生き物を殺すという意味です。「殺生禁断」は鳥獣魚類捕獲禁止の慈悲行で、江戸時代にはこの立て札がお寺の池などに立っていました。転じて酷いことを殺生だというようになったようです。

 

奈落

 

梵語でナラカの音写語が奈落、地獄の総称です。インド人の宇宙観、文学的構想力はスケールが大きく、地獄の数は100を超えます。その後は転じてどん底や底知れぬ深い場所という意味で使われるようになりました。また、劇場の舞台や花道の床下のことも奈落といいますが、これは回り舞台やせりなどの仕掛けが置かれた場所が真っ暗なために奈落の底に喩えられ使われるようになったのです。

 

涅槃

 

梵語ニルバーナ、俗語ニバンの音写語です。元の意味は「火を吹き消した状態」ということです。煩悩の炎を消し去って永遠のやすらぎが示されたことを意味します。つまり、涅槃をわかりやすくいうならば、むさぼり・いかり・おろかさなど、すべての迷いの心、煩悩が消滅した理想の境地のことなのです。俳優・沖雅也が遺書に「涅槃で待つ」と書き残して自殺したことはあまりに有名です。

 
 
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